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メトロポリス
 
考えすぎてドツボにハマるという状態が長く続いているから、自分の原点となったであろう作品を見直してみることにした。


metro



劇場で観て以来だから14年ぶりの鑑賞。
当時はさっぱり内容が理解できなかったけど、ここで描かれた人とロボットと自意識の関係性というものが理解できないなりにも魂には刻み込まれて今のこの思考になってるんだな。


今回の鑑賞でようやく分かったよ。主人公はケンイチであっても、主役はロックでありティマでありレッド公であるという、疑似家族としての歪な親子関係だ。
ケンイチは主人公としてストーリーを前に進めるために存在していても、主役ではないのでストーリーの中心部には存在していない。


ここでのロックは哀しい。ひたすらに哀しい。
戦争孤児としてレッド公に引き取られたものの「お父さん」と呼ぶことは拒絶され、その怒りを人間より下等な存在と規定したロボットに向け、それにともなう思想と価値観によってロボットの全廃を目指していく。そこに現れるは人造人間のティマ。レッド公はティマに幼少期に亡くなった娘の幻を見つつ彼女に世界征服の野望を託すが、ロックは自分はロボットではなく人間であると主張するティマを否定するために「人間であるなら親はどこにいる」と問いただす。ロボットは人間に劣る下等な存在という思想と価値観を貫きながら、レッド公が心酔するロボットのティマを否定するために用いた方法論で「親がいない=人間ではない」という関係性が成り立ち、戦争孤児であるロックは自身がティマと同列の存在であることを証明してしまった。そして最後は暴走したロボットたちの襲撃を受け、「お前たちにお父さんを殺させはしないぞ!」と自爆によってレッド公とともに死ぬ。

ロボットを否定し攻撃し続けることで自分の人としての価値がそれよりも上だと規定していたにも関わらず、ティマを否定するために彼女が自分と同じ存在価値でしかないと無意識のうちに証明して満足するというアイデンティティーの崩壊と矛盾。
さらにロックとティマの関係性を突き詰めていくと
◯レッド公の意思によって育てられた/作られた
◯息子/人間であると主張する
◯その主張をレッド公に否定される
◯ロボット/人類の滅亡を望む
など、目的こそ違えども行動や結果は同じという表裏一体の存在となっていて、レッド公の息子と娘という意味から兄妹として考えることもできる。
ゆえに人として生きることを望みながらロボットであり超人と呼ばれたティマの「ワタシハ…ダレ…?」という最後のセリフは、レッド公の息子として生きることを望みながら叶わなかったロックの代弁としても機能している。
そして個としての確立を出会ったすべての人間やロボットに託したティマは意思を共有したロボットたちとケンイチによって残骸や記憶が集められ語り継がれていくが、レッド公にのみそれを求めたロックはレッド公の死とともに終焉を迎えてしまう。
ジグラット崩壊シーンで使用されるレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」も歌詞の内容は男性側の失恋の歌だけど、ケンイチからティマへの想いであると同時にロックからレッド公への想いにもなっているようにも思えるから、なお哀しい。


神になろうとした男=レッド公が世界征服のために娘の形を模した人造神=ティマを生み出すも、自身が都合の良い手駒として育てた義子=ロックによって否定された人造神が人類を滅ぼすことを決め、世界征服の象徴となるはずだった天に届かんとする塔=ジグラットは崩壊。父=レッド公は息子=ロックと娘=ティマによって殺される。
という神話的なストーリーだったのだな。
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【2015/05/30 01:34】 | 映画感想 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
人生で最も大切な日は、生まれた日と、生まれた意味を理解した日だ

昨日、17日は誕生日だった。
年齢とともに感慨深さは薄れていくけど、自分でも忘れてるくらいだったのにお母様は覚えていてくれて、夕飯にちょっと良いお肉を出してくれたけど年齢は間違ってた。


で、衝動的に何か買いたくなって「そういや誕生日じゃん!」という理由からバッグを注文。

fc2blog_20150518181959669.jpg

背負えば気分は完全にキャプテン・アメリカ!!
直径44cmと意外と大きくて中も大容量。しかし、どこにもマーベルのタグが無いからパチモノだと思う…。缶バッチもいかにもお手製プリントぽいし、値段も価格破壊の2000円…。

いや満足なんですけどね、本当はこれがほしかった。
http://www.thinkgeek.com/product/iiur/



誕生日には映画も見た。昨年の秋に劇場で見て以来となる「イコライザー」。
オープニングからして「人生で最も大切な日は、生まれた日と、生まれた意味を理解した日だ」というマーク・トウェインの言葉から始まり、誕生日にピッタリ?



劇場で見た時に書いた感想ではアクションがスゲーと絶賛していたけど
http://otakuismfire.blog67.fc2.com/blog-entry-978.html
あらためて見ると構成の妙に感動した。

時間を確認しながら見ていくと、最初の20分で主人公の生活や少女テリーとの出会いが描かれ、ちょうど20分のところで悪党が登場し同時にテリーが退場。さらに次の10分で主人公が悪党を処刑する展開となるので、実は「少女とオジサン」という基本設定が似ている「アジョシ」や「レオン」の内容は30分目で終了してしまっている。
次の30分では正義の象徴たる警察の腐敗が明らかになり、処刑された悪党の後ろにいた新たな悪党が登場。その次の15分で新たな悪党と主人公が出会い、お互いに戦いの予感を察知。上映時間2時間12分の半分を過ぎた1時間15分辺りで主人公はかつての仲間の元へ行き、悪党の情報を入手するとともに戦うことを決意する。

最初の少女の救済という要素を引き伸ばさず、その次に正義の失墜とそれにともなう主人公の正義感の暴走という展開を配置することで、新たな自警者の誕生を描くという面白さ。
悪と戦えるだけの能力はある。しかし相手が悪といえども殺人や暴力はそのものが悪であり、その世界に戻らないと亡き妻に誓った。それでも悪に蹂躙される力なき人々がいるのなら自分が戦わなければならない。最初に悪党を処刑した際の「すまない」という謝罪は悪党に対してではなくそれらの行いを否定した妻へのものだし、「自分が悪を処刑するために存在するのなら、悪は自分に処刑されるために存在している」という、ある意味で正義サイコパスのような価値観。だから悪を処刑する際には何も語らず、何も感じない。冷静かつ冷徹な立ち振舞とそこで見せる無表情がその象徴。

これは本当に研究すべき映画だなと思った。
 
【2015/05/18 18:23】 | 普通の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
心の隙間に流し込むのは暗い映画なのだよ

久々に映画館に行くかという気持ちになったので「そういや長らく着てないなー」というジャケットを掘り起こしたところ、ポケットから大学入学直後に渡された案内書と学食のレシートが出てきた…。
むしろ長らく着てないどころか大学入学から1週間くらいの時にしか着てなかったのね…。


1本目の映画 「海にかかる霧」

umi


「殺人の追憶」や「母なる証明」の監督であるポン・ジュノがプロデュースした韓国の海洋サスペンス映画。
貧困から脱するために漁船の乗組員たちは密航者の移送を請け負うことにるが、様々な行き違いが憎悪に変化していく、という実際の事件を基にした内容。

大半が船上で展開される密室型サスペンスなので、偶発的な事故とそれによる状況変化を把握しながらも自身の欲求を優先するバカによって人間関係も状況も悪化していくという流れ。そういった状況において理性的な判断が行えるかという部分がこういった内容の肝になってくるけど、「若さ」や「下半身の緩さ」といった面を前半で時間をかけて描き、ちょうど折り返しの60分前後に設置された後戻り不可能な劇的な展開が作動。あとは前半で描かれた各自の要素を独善として描くことで、おぞましい血みどろの残酷絵巻に発展する。
それらを牽引するのがキム・ユンソク演じる船長。あのタレ目とも違う、いわゆるジト目の力強さ。最近の韓国映画では「追い詰められた知的なリーダー」といえばこの人みたいなところがあると思うけど、今回も冷徹な役柄で絶対的な存在感を発揮していた。

韓国映画らしく「これは酷すぎるからやらないだろう」という視聴者の予想をそのまま映像化した上に、救いなく終わる結末も手加減が無くて素敵だった。


2本目の映画 「ブルー・リベンジ」




無名の若手監督による小規模作品ながら、数々の映画祭で絶賛された静かな復讐劇。
車上生活を続ける浮浪者に警察から、彼の両親を殺害した男が出所したという連絡が入る。刑務所に服役したことが罪滅ぼしとなるのか。彼は男を殺害し、やがてそれぞれの家族を巻き込んだ報復の連鎖が始まる、という内容。

徹底してセリフを排し、事件の全貌と主人公の過去を説明する情報が断片的に提示されるだけで、劇中での会話をすべて合わせてもおそらく10分もないはず。それだけに、無駄な要素が削ぎ落とされることで「両親を殺害された」というフィクションとしてはシンプルな設定が際立ち、1本線ながら太い説得力を与えている。
恐ろしいのは主人公が常識的な一般人であること。高い戦闘力もなければ怒り狂うこともなく、殺人を犯す自分を冷静に受け止めながら、そうなってしまった状況を悲しんでいる。しかし、その悲しみは姉家族を巻き込んでしまったことに起因するので、相手側に対する感情は持ち合わせていない。
冷静で感情を動かさないがゆえに「殺されたから殺す」という互いの報復の繰り返しが機械的なシステムの流れを内包しているようにさえ見えてきて、コントラストを強調した映像も相まって異様な緊張感を生み出していた。

復讐に至るまでの怒りや悲しみを表現する方法は多々あれど、この作品ではそれらを「復讐をやめる理由を考えていた」という一言で決着させている。復讐が当然のものとして始まり、自身が元の生活に戻るための方法を模索しながらそれを撃ち破る憎悪の応酬。長年に渡って浮浪者生活を続けていた主人公をいまだに愛してくれる人々がいることがなお悲しい。


どちらも年間ベスト級の作品で良い映画日和でござった。
【2015/05/11 18:56】 | 映画感想 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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