スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑
両手を合わせて拝め!巨大なものはすべて神様だ! 「シン・ゴジラ」
気がつけば7月も終わってしまったけど、とりあえず「シン・ゴジラ」の感想を簡単に。



今回のゴジラは「現在の日本に本当にゴジラが現れたらどうなるのか」という災害シュミレート映画であり、特に政府や自衛隊の動向に重きが置かれている。
なので一般市民の被災やドラマ要素は薄く、大半が政治家と自衛官のストーリーで展開されていく。

庵野総監督が徹底したリアリティを求めたことにより、各部署の各担当者が専門用語満載の会話で矢継ぎ早に情報交換していく。とにかく登場人物や組織が多いので、字幕でこの人はどこの誰とパパッと説明されるものの、会話に関しては字幕があっても追いきれるのか不安になるほどの台詞量と早口で、まさに情報量の洪水状態。
しかし、その洪水状態によって全ての状況を把握しきれない混乱と焦燥感は登場人物の誰もが抱いているものであり、それを観客もリアルタイムで共有できる心地よさがある。
同時に、それらは一つの決定を下すのに複数の組織や担当者を延々と通さなければないない“お役所仕事”を可視化して映像化したものなので、ブラックジョークとしても笑える部分があり、テンポのいい編集も相まって間延びは感じられない。

また、恋愛や家族愛といった要素も皆無で、ひたすらに状況打破に向けた各自の奮闘のみが描かれる。それぞれの人となりを示す過去のエピソードなども無く、「対ゴジラ」という極限状況下で表れる人間性がそのままキャラクターの骨格となり、特に後半からは「この人たちなら必ずやり遂げてくれる。頑張れ!」という期待感を観客に抱かせるほどの行動と決断を見せてくれる。それは災害大国に生きる我々の一つの理想にも思える。人はこんなにも強いのだと。


だが、今回のゴジラは太い下半身、短い腕、長すぎる尾と、自然淘汰とは違う異常な進化によって生み出され、核の脅威だとかも超えて、まさに世界を終わらせる悪魔のような存在として出現する。異様に小さな目を擁する顔からは表情が読み取れないために感情も感じられず、生物としての意思が見受けられないことがそれに拍車をかけてくる。

特にゴジラの代名詞である放射熱線が放たれる場面は単に街が破壊されるのではなく、凄まじい高揚感と悲壮感により「ああ…このまま世界は終わってしまうのだな…」と本当に思えてしまうほどの大破壊が繰り広げられる。
かつてパシフィック・リムに対して樋口監督が“怪獣にも魅せ方がある”と苦言を呈したけれど、それに対抗しうるとんでもない一撃をぶちかましてきた。庵野総監督と樋口監督の怪獣に対する偏愛的で変態的な愛情が炸裂し、「巨神兵東京に現る」で語られた“畏れこそが神の本質なのだ”という言葉がついに映像化された。世界を終わらせる炎が、たしかにそこにあった。


庵野総監督をはじめ主要スタッフはエヴァンゲリオンの制作陣で固められているので、随所にその影が見え隠れするどころか明らかに確信犯である部分もある。しかし、そもそもエヴァンゲリオンが特撮作品や怪獣映画から強い影響を受けているので、これはリバース・エンジニアリングに近いのではないかと思う。
ゴジラを見た庵野総監督と樋口監督がエヴァンゲリオンを作り、エヴァンゲリオンから抽出された要素でゴジラを作る。だから、このゴジラの中にエヴァンゲリオンが見えるのは当然のことであり、そう評するのも正解になる。それでも、そこで生み出されたのは特撮作品であり、怪獣映画であり、庵野総監督が目指した「面白い日本映画」だった。

庵野総監督は今だからこそできる一度きりの挑戦という想いで引き受けたそうなので、続編や新作があるのかは分からない。けれど、これがきっかけとなって怪獣映画の復活、そして庵野総監督と樋口監督による「ウルトラマン」が生み出されることになったら、とても嬉しい。
 
【2016/07/30 18:53】 | 映画感想 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<携帯スーファミ | ホーム | 個人の善意の集積は国家の支配を超えるのか 「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://otakuismfire.blog67.fc2.com/tb.php/1028-f2878129
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。