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マイケル・ファスベンダーが変テコな被り物をして”自称 創作者”や”自称 コミュ障”の心を粉砕する 「FRANK -フランク-」
 
超イケメンのマイケル・ファスベンダーが変テコな被り物をしているという話題性が先行していたけども、実際の内容は物作りを目指した人なら誰もが経験する葛藤で”自称 創作者”、そして”自称 コミュ障”の心を粉砕するものだった…。






イギリスの田舎町で両親と暮らすジョンは定職に就きながら音楽活動を続け、暇さえあれば自室にこもってキーボードでオリジナルの曲を弾き語っていたが、自分の方向性が見出だせず作ったそばからすべてボツに。
そこで出会ったのが謎の被り物をしたフランク率いるインディーズバンド。キーボードが弾けるということから臨時メンバーとしてライブにも飛び入り参加し、アイルランド遠征にも同行。しかし、遠征はライブのためではなく「新作アルバムが完成するまで」という無期限のものであり、森と川に囲まれた山奥で新入りの自分を嫌うバンドメンバーと共同生活しながら音楽を作り上げていくこととなってしまう。


ドーナル・グリーソン演じる主人公ジョンは薄幸そうで平凡という、とにかく「普通の人」。日々のひらめきや直感を頼りに作詞・作曲をしていくけども、自分の方向性を見出だせないままなので、いつも最後には「クソみたいな曲」と他人から言われるし、自分からも言ってしまう。だから、明確な方向性を持って意欲的に活動するフランクに大きな憧れを持つことになる。しかし、フランクは音楽的な才能を持ちながら奇抜な風貌で奇抜な行動をする人であり、その奇抜さが音楽的な才能を支えていることもまた事実で、ジョンの「フランクのようになりたい」という憧れはやがて「フランクをもっと有名にしなくては」という使命感へ変化していく。
フランクがすでにこんな人物なのだから他のバンドメンバーも一癖二癖あるどころか癖しかないような変わった人物で、ジョンとの軋轢が解消されることはなく、皮肉や怒鳴り合いの中をフランクが自由に駆け抜けていく共同生活。ジョンは協調性を重視して多くの人に愛される曲作りを目指すが、他のメンバーはそれらの意見をすべて却下し、自分たちの好きなように演奏するので、時には雑音にしか聞こえないような奇っ怪な曲が完成することも。
多くのことにイラツキながらもジョンはフランクを信じ、フランクもまた自分を支持してくれるジョンを受け入れ、徐々にバンド内での各メンバーの立場は変わっていくが、「なぜフランクは被り物をしようとしたのか/し続けているのか」ということへの理解と配慮が失われ、それぞれの目的もまた変化していってしまう。

ここで非常に恐ろしかったのが、彼らがアルバム制作合宿で利用していたコテージの代金が未納だったということ。彼らはアルバムを販売できるような契約を持っていた反面、現状は大した収入もなく、それでいて「他人の意見や評価は関係なく、自分たちが良いと思ったこと、好きだと思ったことをやり続けたい」という。つまり、「自分が理想としたことをやっている」という理由を盾にして創作活動を続けるフリーターやニートと同じような状況にあったのではないかと思う。ただ、ここでの他者から評価されることや有名になることへの嫌悪というのは「フランクと音楽ができるのなら、それだけでいい」という想いも含まれているので、理解できない人は低脳というような他者への一方的な否定ではないけども、メンバーの平均年齢からすれば岐路に立たされているのは誰が見ても明らかだった。
そして、フランクに対して絶大な憧れを持つジョンに、スクート・マクネイリー演じるマネージャーのドンはかつては自分がキーボードを担当していたことを明かすとともに「才能を与えられなかった側」の物語を展開し、ジョンもまたこちら側の人間であると諭す。「どれだけ頑張ってもクソみたいな曲しか作れないのだ」と。「自分がフランクになれないのなら、より有名な存在にしよう」と考え自身の方向性を模索するジョンと、最後まで「フランクそのもの」になろうとしたドン。フランクに魅了された2人対比は、ある意味で理想的な結末を迎える。


劇中ではTwitterやYouTubeを活用する場面も多く、その投稿がきっかけでストーリーが大きく動く場面もある。けれど、それらへの反響が自分たちが期待した内容であるとは限らず、後半からはその部分での挫折や現実の厳しさを受け止めることになってしまう。
フランクが被り物を続ける理由は別のところにあるけども、それが何を表していたのかと考えると、やはりネットと実生活での2面性の象徴だったのではないかと思う。匿名SNSなどのネット上では実生活とはまったく違うキャラクター性を確立させ、匿名ゆえに好きに振る舞えてしまうことを本来の自分と考えてしまうこともあるだろうし、素顔のフランクと被り物をしたフランクの関係性もそれに近いものだったからこそ、彼らのバンド活動に対するネット上での反響と実際の態度に大きな差があるのは想像に難くない。
だからこそ、それらを受け入れ自分たちが何を望むのかを明確に示したラストシーンがとても美しかった。


良いものを作りたいと始めたはずの創作活動なのに、やがて有名になることが目的となり、素顔と被り物の2面性の差を忘れ、最後には他者への配慮さえも度外視してしまう。
ジョンとフランクが見せる人間関係は、”自称 創作者”や”自称 コミュ障”が自虐として皮肉ることで誤魔化してきた「被り物」の部分を、静かにそしてはっきりと取り払ってしまうのかもしれない。
 

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2014/11/02 17:54】 | 映画感想 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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